青Pのひとり語り

麻倉ももを中心に自分の好きを語っています。

TrySailの麻倉ももとソロの麻倉もも ~TrySail Double The Capeのライブを通して~

 

 

「今日、すごい楽しかったです!!」

 

 

眩しかった、どこまでもキラキラと屈託のない笑顔で会場にいるみんなに彼女はその言葉を届けた。

 

ずっとずっと聞きたかった一言に、僕の心はトクンと高鳴った。

1人の女の子の笑顔を、そういえば5年間当たり前のように探していて

答えを求めていた自分がいた。TrySail麻倉もも、たぶん僕はそんなものをずっと探していたんだと思う。

 

たぶん答えはずっと前から出ていて、そんなのもの言葉にするまでもない気がしている。でもまぁここで自分語りを残したくなる。そういう性分だったのだろう。だからここで1つの語りを残しておくことにした。

 

 

 

2021年3月7日 代々木第一体育館

TrySail ワンマンライブ〝Double the Cape〟その2日目のステージ。

冒頭の言葉はそこで生まれた。

 

今日僕が語りたいのは、TrySailにおける麻倉ももという存在について、そして今回のライブで僕が気づいた感情についてだ。

 

ライブの感想か?と食いついた人は残念ながらライブの感想はないので注意してほしい。

 

 

麻倉ももTrySailにおける【バランサー】

 

まず、TrySailにおける麻倉ももという存在はどういうものかという話をしたい。

これは僕の中の解釈であり、異論は認める。

 

麻倉ももTrySailにおける【バランサー】だと思っている。

 

このことに関しては、

〝ANIMERO SUMMER LIVE 2018 OK〟のライブ前インタビューにも述べられている。

 

【麻倉】3人とも全くタイプが違うんですけど、多分3人でいいバランスがとれてるからここまでやってこられたんだと思います。天さんが問題提起をして、なんちゃん(夏川)が受け止め、私がバランサーみたいな。それぞれが違う立ち位置でポジションを埋め合ってるから良い雰囲気でやれてるんじゃないかな。

                      ー下記記事より抜粋

www.oricon.co.jp

 

 

麻倉ももさんという人はすごく真面目で、3人の中で最も演者らしい人だなと僕は考えている。その所以といえるのがストイックさと真面目さであり、直前まで振り入れなどの確認を怠らず、TrySail3人の中でも、ダンスや歌詞、立ち位置などを間違えることが一番少ない。また、歌唱面においても、正確に音符に合わせて歌っていくという部分は、麻倉もも自身が語る長所だ。

 

麻倉もものパフォーマンスの安定感は、TrySailにおいて3角形の底辺のように支えている。他の2人はとても自由で楽しむ人たち、特に雨宮天というアカチャンは縦横無尽にステージを楽しむ、夏川椎菜は持ち前の煽りを生かして、ファンの風を生む。

彼女の安定感があるが故に、2人の個性が輝ける。たとえ上2辺の長さが変わろうとも、その長さに合わせて彼女がバランスをとる。それは彼女自身の努力もそうであるが、視野の広さと周りの長所を生かせるために、歌唱やダンスの表現も変えることができる表現の幅にあるだろう。ある意味この安定感はステージ上で完璧な演技をする役者。僕はある意味そういう風にも感じている。

 

TrySailの楽曲という1つの物語を、3人で演じると表現するならば、2人の物語の解釈に合わせて、最も物語が美しく語れるように声をあてはめていくことが上手い。つまり、他の役者の意図をくみ取ることも上手いのだ。その上で、自己の解釈で物語も表現できる。僕が麻倉ももを昔物語の語り手と表現していたのは、この要素が強いのかもしれない。

 

初期のTrySailのステージを僕は知らない。ただ、ここまで述べた通り、麻倉ももがいることでステージ上のTrySailというアーティストは綺麗な3角形でいられる。故に僕は麻倉もものことをTrySailのバランサーと表現する。

 

 

ではなぜ、TrySail麻倉ももはそういう立ち位置に立てるのか?いや立つのか?

 

これは彼女は常に【受け身】の姿勢を大切にしていて、ファンの声やTrySail2人の声や行動を受け止めてから言葉や対応を返す人だからだと思っている。それは麻倉ももという人がとても優しく懐の深い人だからだ。

 

僕にとって麻倉ももTrySailの3人が、TrySailの曲が、そしてファンが大好きで、周りの人をしっかり見ていて、真面目で、努力家で、頭もいいから考え過ぎちゃう、でも前に出ることは苦手で、伝えることがすごく不器用な優しい女の子だ。

自分の思う麻倉もも | 青Pの1人語りより

 

TrySailのライブのMCにおいて、麻倉ももは他の2人がMCを話す時、常に2人を見続ける傾向がある。今回の〝Double the Cape〟1日目の朗読劇の中でも、麻倉ももの台詞に「3人の関係が上手くいっているか」というニュアンスの質問があった。

これらに現れるように、常に麻倉ももという人は3人の関係性を大事にして、言葉を選び、振舞ってきたのだろう。おそらく、麻倉ももという存在がTrySailという3人の今の関係を作ったといっても過言ではないと僕は思っている。

 

 

もちろん、他の2人もそうなのだが、3人で仲良くいたいという気持ちは麻倉ももが初期から最も強かったと感じる。だからこそなのか、MCの時のように麻倉ももは2人をとても大切にする。

 

「会場中の誰よりも2人がTrySailを楽しいと思っている姿が好きだ」

「3人で仲良く、笑顔でステージに立つのが好きだ」

 

まるで、そう感じるような慈愛に満ちた微笑みで2人のMCを聞く姿を僕は大好きである。そんな2人を、TrySail大好きな麻倉ももだからこそ、常に2人の様子を伺い、少し引いたり、引っ張ったり、いじったりして3人のバランスをとっているのだ。
この人間性こそ、彼女が【バランサー】である根源なのかもしれない。

 

 

麻倉ももが【バランサー】であるが故に

 僕がTrySailに最も過熱だったのは2017年~2018年だった。

麻倉もものソロデビューも決まりいよいよ本格的に熱を帯びていた時期かもしれない。当時感じていたのはTrySail麻倉ももへの憤りともいえるものだった。

 

バランサー麻倉ももとしての成長と僕が彼女を好きでい続けためにしてあげたいこと | 青Pの1人語り

今読んでもとてつもなくひどい文章だなと言わざるを得ない記事であるが、この中で、麻倉ももという人はTrySailのバランスを崩せるので、どんどんかき回してほしいと書いている。TrySailの舵を握っている雨宮天。風を吹かせる夏川椎菜の舵を握っているのは麻倉ももといっても過言ではないから、あながちこの言葉は間違っていない。

 

おそらく、この頃の僕は『TrySail麻倉もも』と『ソロステージの麻倉もも』を混同して考えていた時期だった。それが故に個人の麻倉もものステージの表現をTrySailという場に無理やり結び付けていたのだろう。

 

それはまだソロの麻倉ももが確立されていない時代だったからこそ、TrySailの中で麻倉ももを探し続けてきた弊害だ。今考えると自分自身がひどい(笑)TrySailの2人やファンのことを第一に思う麻倉もも自身が、この立場で楽しいと感じているのだろうかそんなことも考えていたのかもしれない。

センターに立って、もっともっと2人を置いてけぼりにしてほしい、そんなとてつもない考え方もしていた。そんな斜に構えた感情が、僕からライブをちゃんと楽しめないという感情も生んでいた。ひどいな(笑)

 

でもこの時期は〝TrySailが好きだ〟という自分自身の感情に気づくことで落ち着き、どちらかというとTrySailとして考える時期が増え、麻倉もものことはソロで考えることが増えた。故に表面化することなく、目を向けることもなかったのだろう。

 

ただ、当時僕は

 

麻倉ももがとても好きなのに、TrySailにおける麻倉ももはすごく好きではない」

 

そんな自分の解釈に落ち着き、麻倉ももから目を背けていた。正直恥ずかしいと言ってしまえばそれまでだが、その距離感は確実にソロの麻倉ももの魅力に気づける時間になった、、、、、うん後悔はしてないよ。

 

麻倉ももを好きになって、アーティストとしての成長をTrySailで追い続けてきた。その中でソロデビューが決まり、同時並行でそれを追ってきた。そんな自分の応援活動の中で、間違いなく『TrySail麻倉もも』と『ソロの麻倉もも』の乖離に悩む時期があった。今はそんなことを懐古厨のように思い出していた。

 

麻倉もものステージ上での笑顔

 結局お前は何が話したかったんだ?という人もいると思うので、結論を話そう。

今回ライブに参加して、正直この2人の麻倉ももについて考えている自覚はなかった。

TrySailが大好きで、もはや日常だった自分を思い出すように、ライブの音楽を浴び、楽しみ、友人と語り合う自分は間違いなく大好きだ。

 

その中ででてきた最後の言葉。

 

「今日、すごい楽しかったです!!」

 

その瞬間、2日間僕が思い浮かべたのは、TrySailのライブでの麻倉ももの笑顔たちの数々だった。たくさん、そういえばたくさんこの笑顔を見てきたんだって思った。それも5年間何度も、何度もその笑顔を見てきた。

 

whizを歌うときいつも嬉しそうに笑顔で歌い、この曲が好きなんだなと感じる姿も

遠くのファンに届いてほしいからかカメラアピールを目いっぱい可愛くする姿も

福岡公演で、いつもとは特別な感情を表現する姿も

なんか今日は調子いいのかなって感じる笑顔も

TrySailの2人と、今この空間が大好きだよって伝える姿も

 

全部、全部、ちゃんとみてきたじゃないか、そうこの日も僕の目の前で

そうだ、みんなのために、2人のために、歌う彼女。

 

〝相手のことを想って歌うことが、自分の幸せ。TrySail含めて、みんなが楽しくて、笑顔でいてくれることが私の幸せだよ。だからみんなが笑顔でいてくれたら私は楽しい、今回みんなが笑顔でいてくれたから、すごく楽しかった。それに気づけたよ〟

 

僕にはそういうメッセージに感じた。たぶんそうなんだろうって、いいように解釈した自分はどうなんだろうと思うが、きっと麻倉もものMCの言葉の一端にはそんなものを感じざるを得なかった。素直にその言葉を受け取った先にあったのは、なんとも言葉に表せない感情だった。

 

ずっとその笑顔が好きだったんだなって、みんなのことを見て笑顔になる彼女の笑顔を

たぶんずっと惹かれてたんだろうな、そんな笑顔で歌を届ける彼女を、歌で誰かを幸せに、笑顔にする、とても素敵で素直なステージ上での彼女の感情を。

 

なんだ気づいていないだけで、ちゃんと見てきてるじゃないか。嬉しさと、むずむずするぐらいの恥ずかしさと、でもこれ以上ない多幸感を、僕はきっとこの人のことを大好きでいてよかった。そう思わせてくれた。

 

TrySailもソロも関係なく、麻倉ももという1人の女の子の笑顔が大好きだ。それはもちろん、自分が前々から持っていた感情だった。でもそれに改めて気づくことができた。どうしようもなく、好きだなぁと思っている笑顔がそこにあったから。

 

たった一言の言葉でそう思わせてくれた彼女にはかなわないなーと感じてしまった。

TrySailも、ソロも関係なく、麻倉ももという1人の女の子の笑顔がどうしようもなく好きと気づいてしまったから。いやもうずっと前から、気づいていたみたいだ。

 

 

〇〝好きの言葉〟以上の〝好き〟を届けるために

 ライブを終わったあと、TrySailのことではなく真っ先にこのことを書きたくなったのはある意味自分への戒めでもあるし、けじめでもある。別に残す必要もない、自分で飲み込むべき言葉なのに、溢れて残したくなった。それがたぶんブログのあるべき姿だと思っているし、それは僕自身がやってきたことだから。

 

 「麻倉ももが笑顔で、幸せでいてくれたらそれでいい。だから自分の楽しいなとか、好きだなって思う表現をしてほしい。」

 

ずっとその感情が自分の中にあって、押し付けでもわがままでもいいからこの感情をぶつけてきた。それは、僕が麻倉ももを好きでいてこんなに幸せで楽しいから、だから好きなことを表現して、彼女自身が麻倉ももを好きでいてほしかったから。そこでジャックナイフ的に尖っていく自分がいたことも事実だった。

 

しかし、2020年のAgapanthusのステージを得て、麻倉ももが表現したいこととファンが楽しいことのバランスがとれるようなステージになり、言葉で表現することも上手くなった麻倉ももTrySailのステージで見たとき。ステージ上での麻倉ももの成長以上に、このTrySailのステージにおける麻倉ももが好きなこと、楽しいことも見えてきた自分がいた。いや気づいていなかったその一端に僕自身は気づくことができた。

 

ずっと見てきた僕自身の感情に、ようやく気付くことができたのだ。こんなに素敵なことはないだろう。それは、押し付けの麻倉ももではなく、まぎれもなく麻倉ももを見てきた自分自身から生まれた語りだ。

 

僕にとっての麻倉ももの幸せは笑顔と楽しいという感情だ。好きな女の子に笑ってほしい、幸せでいてほしい。そんな素直な好きという感情だけだった。それは彼女自身が楽しいや幸せをやりたいことで見つけた先にあると思っていた。

でも、きっと彼女にとっての幸せは僕たちの笑顔と楽しいという感情そのものだと気づいた。僕らの幸せ=麻倉ももの幸せ。1stライブでの笑顔と笑顔の魔法は麻倉ももの幸せに繋がっている、そんな気がした。

 

自分の過去のブログを振り返ってみると、正直同じような内容を書いているのが笑える。たぶん、そこに至る経過は毎回違うのだろうが、結局麻倉ももを好きになって文字を残し始めてからというもの全く同じような感情にたどり着いているのである。

もうかれこれ5年間、自分の中で言葉を紡いでるのにずっと同じ感情なのだ。その感情の名前は正直〝好きという言葉〟以上のものが見つからない。でも、今回TrySailはステージで「ありがとう」の言葉以上の「ありがとう」をステージで表現したいと語っていた。表現する方法は言葉だけじゃないはずだ。

 

だからこれからも僕は変わらずに、彼女にとびっきりの自分の幸せを届けたい。

好きという言葉と感情、それ以上の想いを届けるために、フラスタも、手紙も、ブログも何より会いにいったの表情も。そこには僕の表現したオンリーワンの〝好きの感情〟と〝幸せ〟があるから。それをずっと届けていきたい。

結局また同じ答えにたどり着いたから。1つ1つをその時の花が咲いたような想いとして届けたら、これから2,3年後にはたくさんの花が詰まった花束になるから。

 

恥ずかしいなと最近思っていた言葉がつらつらと並べられるのは、ずっと変わらないのだけど。1つの語りとしてこれが残せたことは僕にとって大きい。声が出せない今だからこそできること、それをまた探す旅は始まっている。

 

まずはこの語りを自分の決意表明にして、また次の好きを咲かせにいこう。

 

 

                                     青P