青Pのひとり語り

麻倉ももを中心に自分の好きを語っています。

青Pのひとり語り ~彼女への片道切符~

 

 

麻倉ももさん26歳のお誕生日おめでとうございます。

20代も後半に差し掛かる中で、本当に麻倉ももという女性は素敵な女性になられていると思っています。

 

 僕自身麻倉ももさんのファンを始めたとき、この人が30歳になるまで応援したいなって今思うと謎の目標を掲げていたんですけど、ついに折り返し地点を迎えたわけで、今自分がそこに立っていると思うとひどく不思議な感じです。

 

 さてさて今年は何をしようかと模索した結果、今ここで書いてるわけです。 

 

 

 

 

前書き

 先日、カリンさんとキャスをしました。これがすごく好評だったのでよかったら聞いてみてくださいね。好きと好きのぶつかり合いです。

ゲスト:カリンさん - 青P (@hinamomosail) - TwitCasting

 

 ちなみに、去年はすごく熱量のあるブログを書いていた。これはこれでいいブログだ。

ameblo.jp

 

 んじゃあいったい何を書こうかとかぼーっと考えていたら、ふとねある同人誌が目に飛び込んできたんですよ。

f:id:hinamomosail:20200703002234j:image  

 

これやん、、、、

ビビット電撃が走ったわけです。僕も投稿させていただいたサークルあおしろ荘のノンフィクションコンパスという同人誌です。

せーはくさんとという人が作っためちゃくちゃ神同人誌です。

いいブログなのでみんな読みましょう。

sehaku.hatenablog.com

 

この時に投稿した記事ね、めちゃくちゃ苦労したんですよ(笑)

 

実際に書きあがったものもすごくよくて、めちゃくちゃ好きだったんですけど、今読むとマイワールド全開すぎて、結局麻倉ももを通したお前はなんなんや?ってなってね。

 

せーはくさんに赤ペン先生してもらえなければ何も伝わらないままに終わってしまったような記事で、めちゃくちゃ悔しかったんですよね。

 

 これは個人的なお話で、誘ってくださったせーはくさんにはめちゃくちゃ感謝してるし、実際書くのもめちゃくちゃ楽しかったんですよ。でもやっぱり、どこか引っ掛かるものがあったんです。

 

だったらこの機会に、ちょうど自分の中の物語のフィクションの麻倉ももじゃなくて、その麻倉ももを書いてる自分自身のノンフィクションをさもう1回書いてみたなって思ったわけで、今筆をとってます。

 そしてね、ノンフィクションコンパスといえばUNISON SQUARE GARDENの素晴らしい楽曲です。残念ながらサブスクにはないのですが、いい曲なので聞いてほしい。

ノンフィクションコンパス

ノンフィクションコンパス

  • provided courtesy of iTunes

 

 そして、今回僕が物語のキーとして選んだ1曲は〝春が来てぼくら〟

open.spotify.com

 

 なぜこの楽曲を選んだのか?それは最後の方でかたろうと思います。

 

では、今書ける全力のノンフィクションコンパスをね、ここに書きます。

なので、今回は麻倉ももの話ではなくて、1人のオタクの話です。

 

 

 

 

 

リード文

 僕の中の麻倉ももをずっと探して、語って、表現をしてきた。そして僕は当たり前でないものを見つけた気がする。これは1人のオタクが、1人の女性を好きになって、そうしてたくさんの好きを知り、自分のことを好きになれた物語。

 

本文

麻倉ももとの出会いと、友人たちとの出会い

 

 最近、麻倉ももを好きな理由って何だろうって考えることが増えてきた。まず、きっかけを振り返ると結局はここに至る。

 まずは自分という人を語るところから

 

 5年半も前の話、僕はHoneyWorksのアルバム僕じゃダメですか?のトラック3,瀬戸口雛(CV.麻倉もも)の〝今好きになる。〟で麻倉ももという人と出会った

僕じゃダメですか?~「告白実行委員会」キャラクターソング集~
 

 

 

  当時は大学生3年生であり、すでにアニメなどが好きなオタクで、バイト先の先輩の影響もあって少しずつ声優にも興味を持ち始めた頃だった。 

  HoneyWorksは楽曲の良さもあり、小説も読むほど大好きだったので、このアルバムを買った。それは 、決して麻倉ももという人を知っていたからではなく、ただ単にHoneyWorksの楽曲に声優の声があてられることに興奮して買ったわけだ。

 

 その中でも、瀬戸口雛の〝今好きになる。〟はすごく好きで、楽曲自体を楽しみにしていたが、正直麻倉ももという名前は全く知らなかった。しかし、その時聞いた声に衝撃を受けた。これはたぶん聞いたことのない声の声優だったことも大きかったのだろう。

 まるでそこに雛が浮かび上がるような歌声と表現力。HoneyWorks特有の絵と合わせたストーリー仕立ての歌詞の物語の表現力、何よりセリフ調や風景描写、心情描写の歌い方が本当に素晴らしかった。瀬戸口雛というキャラだけでなく、今好きになる。というストーリーを僕の頭の中のイメージ以上に1曲で表現していたのだ。

 

 今でもこの衝撃を忘れることはなく、すぐに調べて麻倉ももという人を知った。

そこから、TrySailやミリオンライブを知り、どんどんとはまっていったわけだ。ただ、当時はライブなどに足を運ぶのは忙しくて無理だったので、ネット上で知るに至っていた。

 

 トラハモやシャーロットラジオ、ラジオどっとあい(もちょやまばなし)などで麻倉ももの人柄を知るに至った。

 

 少し天然そうな受け答えとビジュアル、彼女独特のキャラクター性で僕が麻倉ももを好きになるのには時間がかからなかった。

そして、麻倉ももという人に直接会いに行く機会が増えた。初めて〝今好きになる。〟を聴けたのは2016年『ずっと前から、好きでした』の公開初日スペシャルイベントだった。

www.honeyworks-movie.jp

 

 今でも忘れないイベントであり、当時の「今好きになる。」をすごく緊張しながら歌った麻倉ももとそれを見守っていた雨宮天の姿は今でもよく覚えている。

 

 僕の大好きな乙女向けの恋愛ジャンルで、僕は麻倉ももという人を知った。

 偶然か必然か、僕の好きな世界観の中に彼女は現れて、もっとHoneyWorksを好きになる理由を作ってくれた。これが僕が麻倉ももに出会って知った初めての好きだ。そして、僕が東京などに足を運ぶようになった理由も麻倉ももは作ってくれた。

 

 このころからオタク活動に転機が訪れた。

一緒にライブに行く仲のよいオタクができた。今でも彼とは仲が良く、気兼ねなくオタクの話やプライベートの話ができる良き友人だ。

 

 彼は雨宮天のことが好きで、ミリオンライブが好きだったので話もあった。

その後雨宮天の1stライブやTrySailの1stツアー、アニサマでもよく連番をしイベント後は2人で飲みながらTrySailや他のアニメの話などをしていた。

 彼以外にもいろんな友人はでき、彼らと会うこともライブの1つの楽しみとなっていた。語り合うことで、TrySailについて自分でも深めていきながら、ライブを楽しみ、酒を飲む。

 麻倉ももを好きになって僕が知った好きなことが1つ増えていた。

 

これが僕が麻倉もものファンになり、友人と楽しいを共有することを知った最初の出会いだ。

 

②ブログと自己表現との出会い

 2017年12月頃、仲の良かったオタクたちと語り合う中で、ブログを書く人たちが出始めていた。ちょうどTrySailの2ndツアー前、雨宮天の2ndライブあたりだ。

周りのオタクから、おもしろそうだし、お前も書いてみたら?と言われて書き始めた。

 

 書くと結構楽しくて、夢中になって書いた覚えがある。そして、僕が初めて麻倉ももについて書いた記事。

ameblo.jp

これが今までの記事の中で最もいろんな人に読まれて、たくさんの感想をもらえた。

 

 本を読むことは好きでも、書くことに自信がなかった僕にとって、その反応はすごく嬉しく、書くモチベーションになった。今思うと、承認欲求的なものもあったのかもしれない。それでも、自分の中の麻倉もも像みたいものを表現して反応をもらえることは嬉しかった。

 

 これまでの人生において、創作物を作って反応をもらうという経験がなかったこともあるのかもしれない。そして、このころから仲の良かった友人は、TrySailからは少し距離を取り始めていたこともあったので、僕自身もこういう書くことなどを通じて色んな人と交流を持ちたいと思い始めた時期でもあった。

 これまでのライブだけをただ楽しむ以外の楽しみ方を探し始めていたのだろう。

 

 時に文章は批判を生み、合う合わないはあった。今思うと至極当然なのだが、当時、熱量が大きすぎた自分自身はどんどんと尖っていきツイートの質もひどいものだった。

ジャックナイフまではいかなくても、尖った鉛筆ぐらいはとがっていた。ちなみに一番とがっていた時期の記事はこれだ。おもしろい。

ameblo.jp

 

 懐かしい時期なのかもしれない。ガチ恋?とまではいかないが、当時はかなりの熱量をもって、オタク活動に勤しんでいたのだろう。

 

 このころからツイキャスで発信することも始めた。反応を得られたこともあり、ライブごと毎週のようにアウトプットをすることが増えていた。今でも続けていることだが、当時は3時間ぐらいぶっ通しで1人で喋っていたのでまじで頭がおかしい。

 

 さらに、最も小さく、今も続けていることを始めた。手紙を書くことだ。2ndツアーの毎公演、麻倉ももさんへお手紙を書いていた。今でも参加したイベントすべてにお手紙を書いているのだが、今も続けている自分の中で大切なことだ。

 時に行き過ぎたラブレターになることもあったのだが、今も楽しく書いているし、季節ごとに便箋を選ぶ楽しみも増えていた。

 

 こういう活動を通して、今までは仲の良いオタクとやっていたアウトプットを、公衆のSNSという場で行うようになり、様々な反応と時に批判を得たのも、すごくいい経験になったのだろうと思う。もちろん関係の輪も広がった。

 何よりも、アウトプットをすることで思考を整理し、インプットをしていたのは楽しくて、今の麻倉もも像もそのころに作り上げられたといっても過言ではない。

 そこから自分の中で整理した考えや想いを手紙にしたためて、麻倉ももへ届けること。最終の形はそこに落ちつくことを大事にしていたので、今も続いている僕の麻倉ももへの想いの届け方はこの頃に始まったのだろう。

 

 そして、自分の中での麻倉もも像の変化と熱量を上げる要因を作った曲があった。

麻倉もも4thシングル『パンプキン・ミート・パイ』。HoneyWorksから好きになった僕の中で、麻倉ももが恋の歌を歌いたいといって歌ったこの曲は、僕の中で特別なものとなっていった。詳しくはこのブログで書いている。

ameblo.jp

 

 恋の歌を歌ってほしいという想いはお手紙でも書いていたことだった。ファンがそういったから恋の歌にしたというものはないにしても、自分の好きなことと麻倉もものやりたいことが重なった感覚は、勘違いとわかっていても当時の僕の中では特別な想いと、好きを伝えていくことの大切さを知った。

 

 その後、1stライブが決まり、とてつもないペースでブログを書いていた。仕事のない休日はカフェに籠り、ひたすら曲について考えてパソコンに向かっていた。

 想いを綴り、イベントでお手紙にして届けていた。外にも発信しようと努力もしていたのがこの時期だ。

 

 ただ、自分のマイワールドが強すぎたのと、伝え方を知らないままに押し付けた文章は届くこともなく、もがいた。好きな人のために、想いを伝えること、でもそれを人に伝えて広げていくことは正直できなかった。無力さというか、歯がゆさもあったのかもしれない。そんな苦しさを味わった。このころの自分のブログおもしろい(笑)

ameblo.jp

ameblo.jp

 

 

③フラスタとの出会い

 そして、麻倉ももの1stライブが迫り、ここでも1つの自分の中でやりたいことが増えた。フラワースタンドだ。

 元々仲の良いオタクたちがフラスタをやっていたこともあり、前々からやってみないの?と言われていた。

 興味はありつつも、僕の企画力では参加人数をある程度集めて、企画にするのは難しいだろう。そう感じていた。ただ、麻倉ももへ好きを伝えることを文章としてやってきた自分にとって、何か形にするものとしてフラスタに挑戦したいと思った。

 

 しかし、花だけでは難しい。そこで、絵師さんとお花屋さんの力を借りることにした。それがきっかけで、カリンさんとエリ花工房さんと出会った。

 この出会いもまた、麻倉ももさんが作ってくれた出会いだ。それまで1人で自分の麻倉もも像を築き上げながら、自分の想いだけを伝えることを楽しみにしていた中で、フラスタとして残すために、自分の考えを絵師さんやお花屋さんに伝えることはすごく難しいことだった。

 

前述した、人に伝えていく難しさを痛感している時期だったので、余計にそれを感じたのだろう。それでもカリンさんとエリ花さんは僕の想いに真摯に向き合い、形として表現してくれた。詳細はこのブログに書いてある。また思った以上に参加者が集まった。今思っても何故ここまで参加者の方が集まってくださったのかはわからない。

 

右も左もわからず、集金方法や案内でも色んな迷惑をかけながらも温かい気持ちで参加者の方は声をかけてくださった。そうして僕の中の1つの好きな形が完成した。

ameblo.jp

 

 

 今思い出してもあの時の感情は特別を超える何かだった。フラスタの前から離れられなかった。そんな特別な想いをあの時感じていたのだろう。

 

 フラスタも1つの好きを届ける形として続けた。何よりもカリンさんやお花屋さんと話をしながら、麻倉ももへ自分の好きを、形にして贈ることがすごく楽しかった。

 何よりも、フラスタを見た人が笑顔になっていく光景をみるのは何よりも嬉しく、もちょ自身も笑ってくれてるのかなーと思いながらそんな光景を眺めているのが好きだった。

 

 今では一番楽しい表現の形だ。もちろん大変なことも多いが、これは僕の性格なのだろう、何か犠牲にすることを当たり前と思える自分がいる。フラスタの集金も、企画も、そして連絡や相談も、そんなことは当たり前で、自分の努力ではないと思えていた。もちろんそれは、社会一般からしたら大きなことではないのだろう。

 お花全ても、自分ではなく絵師さんとお花屋さんの力だ。当時の僕はそんなことを思いながら没頭していた。ブログも、手紙も、キャスも、フラスタもいつしか自分の中の当たり前の日常へと変わっていた。不思議な感覚と少しの違和感を覚えながら、僕はそんな好きを表現することを楽しんだ。

 

 フラスタを通じて、今も大切に思っている友人たちができた。麻倉もものことを一緒に話す友人もこの頃から増えてきて、素直にうれしかった。これまでは麻倉ももというものを自分の中だけで探してきて、それを共有することはほとんどなかった。

  自分の中でくすぶったもの、目の前の麻倉ももとだけと向き合っていたころとは違って、様々な角度から見ることが増えた。それは色んな方向から僕の中の麻倉ももを輝かせた。ほんとにきれいなものだった。それはこの時期から気づき始めたことだった。

 

  フラスタは様々な人との出会いと繋ぎを与えてくれた、これまで点だった麻倉ももが線でつながった。今でも最も特別な出会いの1つだ。

 
④こえ部との出会い

 最後の出会いは、僕が自分自身を好きになる要因を作ってくれた出会い。

 サークルaoiakiさんのこえ部との出会いだった。今振り返ると意外とブログを書いてなかった。何やってんだ当時の俺!!!

ameblo.jp

ameblo.jp

 

 うじゃのさんからお誘いを受けて、2018年の夏コミから参加させていただいたこえ部では、麻倉もものことを2回書かせていただいた。最初は苦労したが、自分の文と向き合うことや字数制限の中で想いを伝える難しさを実感した。

 

 それ以上に、本として残る嬉しさ・構成の力で文章がキラキラしていくすごさ・絵とのシンクロ、書き手、絵師さんたち作り手さんとの出会い。多くのものをこえ部は僕に与えてくれた。

 特に飲み会や文面で、こえ部の方々と語り合うのは本当に楽しくて、自分の知らない様々な価値観を知った。麻倉ももを知っている人と話すのではなく、誰かを見て、書いている人、描いている人、伝えている人。いろんな価値観から見た麻倉もも像を知り、僕の視野を広げてくれた。

 

 こえ部を読み書きして、好きな人というフィルターを通してみた自分と、逆に自分というフィルターに通した好きな人を伝えることの楽しさだった。

 書くことを楽しいと思えたこと、書くことを続けられたことは間違いなくこえ部の方々と出会ったことが大きかった。何よりも、自分の文をこの出会いから確立していった。

 

 また、こえ部の方々は文章の中にいる自分をしっかり見てくれる人たちであり、僕の中の麻倉ももを認めてくれる人たちばかりだった。伝えても伝えられないことを、くみ取って、向き合ってくれた。時に、文章の至らぬ点なども指摘してもらった。僕が書いた本を、こえ部の人たちはしっかり読んで返してくれた。それが嬉しかったのだろう。

 もちろん、文章の中の自分を文を読んで理解してほしいなんて毛頭思ってはいないのだが、やはり1つの本になることで共有する場は与えられたのだなと思うとやはり嬉しいことなのだ。

 文の中で語り合い、共有して、話すこと、そういうことができる人たちに出会えた喜びを僕は知った。

 

 

⑤ 伝えてくれた人と、好きな自分との出会い

 

 ここまで自分語りをしてきた。その中の主語は間違いなく僕で、麻倉ももが主語になることはなかった。

 僕は麻倉ももを好きになってから、自分の中の好きをずっと探してきた。

 好きになったあの日の想いを、その想いの理由や好きでい続けるきっかけだったり、伝えたい想いだったり、麻倉ももを好きになったあの日の気持ちを大切にして、今までそこから想いの種を花にして咲かせながら活動をしてきたのだろう。

 

 その中で、尖ったり、間違えたり、やりすぎたりもした。正直誰かに理解してもらおうとか、他の人とも共有したいとか、そんなことを考えていたこと、また活動を押して非難されることもあった。それが苦しいなと思う時期も正直あったのかもしれない。 

 この1年ぐらいは特にそれが顕著で。1stライブでフラスタを届けてから、フラスタを贈ることや記事をや手紙を書くこと、そんな日常が当たり前になっていっていた。楽しいなって思いながらも、そんな当たり前を当たり前と思ってしまうことがしんどかったのかもしれない。

 こうやって楽しいけど、どこか相手に届かないことへの不安と、自分の中で完結してループしていく不安と、そんなものを折り混ぜながら活動をしてきたのも事実だった。実際に自分の活動が麻倉ももへ届いていても、それが間違っていないのか、そんなことも考えだしていた。返ってこないことは当たり前だし、そんなことは考えても仕方のないこととわかりながらも、続けることに苦心していた。もちろん楽しさが上回っていたからこそ続けていたのもある。

 

 ただ、この1年が特にしんどい中でも、手紙やフラスタ、文章、何より麻倉ももの言葉が僕自身を救ってくれた。そして、考え方を変えさせてくれた。

 

 1つ目の手紙で返ってきたのはTrySail The TrySail Odyssey福岡公演

 まずはこえ部vol.14で書いた文の一部を読んでほしい。

 実は2ndツアーの福岡公演は僕にとって、どこか不完全燃焼な感じがあった。

(中略)

 福岡公演での本編ラスト『笑顔で帰れるようにみなさんの目をみて笑顔で歌うので、笑顔で見てください』と彼女が語った『azure』の歌初め、笑顔の中で少し涙をこらえながら会場の光景を眺めた麻倉さんの姿があった。それがこの公演のすべてだったのかもしれない。その瞬間僕の目には涙が溢れていた。僕にとっても福岡公演は特別な場所になっていたのだろう。そして、いつものように一瞬の涙から、笑顔に変わり歌いだした麻倉ももの姿は、僕がこれから一生忘れない大切な栞となった。1年前に僕自身が挟んだままにしていた栞の物語が動き出したように感じた。

 

    青空にかかる3色の虹のハーモニーとトライセイルの文庫本  

                      サークルaoiaki こえ部Vol14 より 

 

 この公演の1年も前から僕はお手紙で、この福岡公演への自分の思いを綴っていた。

 その内容は恥ずかしいので言えないが、この時の思いを、この公演では麻倉ももさんは表現してくれた。まぁこれはオタク特有の勘違いなのであるが、自分自身にとって本当に大切な思いだった。

 この公演、TrySailのライブで初めて涙を流した。ライブで泣いたのは2016年のラブライブファイナル以来であった。しかも、大号泣だった。それぐらいazureでみたその表情が僕には印象的だった。ちなみに横にいた友人には笑われたつらい。

 

 想いと思いを書き続けるということは、こういうキャッチボールができるということでもあると僕は常々思っている。これらを投げ続けたらいつか返ってくることはある。もちろん直接ではないので、ただの勘違いなのだが、それは勘違いでもいいのだ。これも友人が教えてくれた。

 伝えないと勘違いもできないのだから、だからこそ僕は書き続けて伝え続けることをやめたくない。勘違いでも、こんなにも素敵な気持ちに出会えるのだから。それを僕自身は活動することで知った。

 

 次はフラスタだ。1stライブでのフラスタ以降も素敵なフラスタを出せていた。すごく楽しかったし、満足していたし、作ることへの楽しさもあった。

 そんな中で、1stライブもフラスタ以上に僕自身の麻倉ももの未来を表現したものに出会えなかったのも事実だった。熱を保ちながらもそんな想いが僕の中であって、迷っていた時期もあった。

 もちろんそれは作業スパンが短かったことも関連していたのだろう。ほぼ3か月ペースでフラスタを贈っていたのだ。そりゃあ煮詰まる(笑)

 

 でもその中で、迎えたMusic Rainbow06久しぶりにゆっくりとフラスタの作業を進めていた、正直自分の中での案はほとんど枯渇した中で、カリンさんからでてきたのが不思議の国のアリス案だった。そういえばディズニープリンセス好きって言われたし、いいなぁと思い。制作活動に入る中で、久しぶりにこれだという案が浮かんだ。

 

 そうして迎えたMusic Rainbow06 確かな手ごたえをもって、会場に運んでそのフラスタを目にした瞬間。本当にうれしかった。もちろん贈られたお花はすべて美しいのだが自分の中の想いだけの満足度は今までのより少しだけ高かった。

 そんな興奮の中でAgapanthusのアルバムとジャケットが発表された。それが、フラスタのデザインと類似していたのには驚きは隠せなかった。制作時期を考えてもほぼ同時期だろうし、偶然の産物ではあるのだが、僕が見ていたものは間違ってなかったんだなと思える材料には十分だった。また勘違いの中で、幸せな気持ちが芽生えた。

 そして、Agapanthusの曲自体もお花と恋をテーマにしていた。別に勘違いでもいいから、思っていたことが確かにそこに形になっていたことが本当に嬉しかった。

 麻倉ももを好きでいて、フラスタをやってよかったな、本当に幸せだなと心から思えた瞬間だった。もう1つ嬉しいことがあったのだが、それは後程。

ameblo.jp

 

 ここまでの出会い、そして人の言葉、これが麻倉ももへの好きから巡り合ったものたちだった。

 

 その中でも大きなことが2つあった。

 

 1つは飲み会で、その人は僕のオタク活動をみて、「しんどくないのか?」といってくれた。麻倉ももへ、仲の良い友人だけで共有できたらいんじゃないか?と言っても暮れて、僕のことを考えたうえで叱ってくれた。すごく嬉しかった。

 自分の活動はもちろん自己満足であり、自分の価値観の押し付けだと思う。だからこそ、ぶつかったり非難されたりする。それでもその想いは大切なものだと認めてくれた上で、選択肢を提示してくれた。そして、伝えるならしっかりその技術を磨けと言ってくれた。ぶつかってくれたことが嬉しかった。今やってることはその人の思っていた形とは違うものかもしれないが、僕はその言葉を受けて今ここに言葉を書いているし、逆にTwitterに変なことは書かなくなった。ブログと手紙だけで伝わる相手に伝わればいい。

 今はそう思えるようになったし、共有は身内でやればいいから、ブログなどを通じて関係を広げることも今はやめようと思っている。また書き終えたら、感謝の言葉を送ろうと思う。

 

 2つはキャスで、これが本当に1番嬉しかった。ここはあえて名前を出すのであるが、

ケイスケさんという方だ。詳しくはキャスを聴いてほしい。

twitcasting.tv

 ケイスケさんは僕の麻倉ももへの想いと活動を、素敵なものだと言ってくれた。

そして、僕の中の麻倉ももというものから僕という人間を好きだと言ってくれた。

「あなたのオタク活動を誇っていい曲」だと言ってくれた。

「このスタンスを貫いてほしい」と言ってくれた。

 

 僕は昔から好きといわれることに疎かった。褒められることに疎かった。

学生時代から、環境には恵まれていて、勉強をすることって当たり前で、スポーツで努力することは当たり前だった。それがすごいこととは思ってなかった。

 なんとなく、高校受験も、大学受験も、部活動もやってきてしんどかったけどそれなりに上手くいっていた。もちろん努力はしてきたのだろうけど、その努力は当たり前になっていて、ある程度努力すれば上手くいくとも思っていたのかもしれない。

 

 でもその中で、確かに自分を評価してくれる人はいて、でもその評価に自分は向き合ってこなかった。当然だからと決めつけてそれに向き合ってこなかったのだ。

 でも麻倉ももへの活動を通じて、確かに自分は努力をしていた。自分の好きに向き合ってきていた。たった5年のオタク活動の中で、そうやって努力してきていたんだって気づいた。それをケイスケさんは気づかせてくれて、素敵だと言ってくれた。

 それはもちろん、せーはくさんやうじゃのさん、他の友人たちも言ってくれたことだった。

 

 初めての感情だった。すごく嬉しかった、好きって言ってもらえることはこんなにも嬉しいことなんだと、そして自分のこれまでの活動も好きになれた。これがこの1年で1番大きかったことだ。そんなAgapanthusへの想いを綴った僕の中でも最高傑作の記事がこれだ。

hinamomosail.hatenablog.jp

 

 そして、何よりその気持ちに気づかせてくれたのは麻倉ももさんその人だった。

福岡でその表情を見せてくれたこと、Agapanthusという花と曲を選んでくれたこと、

偶然でも、必然でも、そうやって麻倉ももが見せくれたものが僕の想いの種に花を咲かせてくれた。

 

 そしてそんな僕の好きな想いを確かなことにしてくれた出来事がMusic Rainbow06。僕は初めて麻倉さんに会場で名前を呼ばれた。どうしていいかわからなかった。リリイベのアンケートなどを通じて、会場で麻倉さんに名前を呼ばれたことがないし、意図的に目が合ったこともなかった。

 その日が初めてだった、隣の友人がアピールしなかったら気づかれなかったかもしれない。kaguyaさんありがとう。その時、彼女は満面の笑みで手を振ってくれた。正直大したメールではなかったし、トーキングボックスにそぐわない内容だったかもしれない。実際ラジオ本編ではカットされていた(笑)

 たまたま正面の席に座っていたこともあって、その時素直に僕は手を振り返していて、めちゃくちゃ嬉しかった。あぁやっぱりこの人の事好きなんだなって。この笑顔が好きなんだなって。また、偶然が重なった。奇跡が起こった年末だったと今振り返ると思う。こんなことあるんだって。

 

 でも届け続けたから、自分が真摯に向き合ってきた結果が、あの日だったと今となれば自信をもって思える。それは自分自身に対しても、僕を見守ってくれていた人に対してそう言いたいからだ。

 奇跡のような1年だったけど、確かにやってきたことが花を咲かせた1年だった。本当に今振り返ると濃い1年だった。そうして麻倉ももを好きでい続けた自分が好きになれた、認めることができた。

 

 最後の出会いは、麻倉ももを好きになってずっとずっと見つからなかった好きな自分自身の姿だった。僕は麻倉ももを好きになって、最後の最後に自分自身が好きになれた。

 灯台下暗しとはこのことで、最後に出会ったのが自分自身と面白い。

 

 

麻倉ももへ伝える片道切符、点が線になって、円になった。

 

  これが僕が麻倉ももに出会ってからの出会いたちだ。

 自分語りをここまでできるとは思わなかったし、ここは4000字ぐらいですぱっと書くのが正解だと思う。いやまとめろや。

 

 まぁでも、結局こうなるのも僕らしいと思う。早く締めよう。

 

さてさてようやくキー曲の登場だ。

冒頭にあげた曲

UNISON SQUARE GARDENの〝春が来てぼくら〟

アニメ三月のライオンのライオンのOPテーマだ。

 

これまでの宝物のような楽曲たちの後に続いていくのは非常に恐れ多かったのですが、いつもの自分の取り組み方で、作品の片隅で微かな光を放ってくれるように作品と1から向かい合うつもりで書きました。

羽海野先生の作品は金言が多く、物語の隙間をどこに見つけるかは結構難題で、作家として一つの挑戦のつもりで臨みました。

全てのキャラクターの幸せな行く末を願いながら、この歌を作品に添えさせていただきます。

『3月のライオン』第2シリーズ新OPがユニゾン新曲に決定! 田淵智也氏から主題歌「春が来てぼくら」についてのコメントも到着 | アニメイトタイムズより抜粋

 

  春という出会いや始まり、新しいものの始まりの中で、僕らはみんな1つの存在で、僕らの中の1人の戦いや歩みを歌った歌だ。

この記事が素晴らしいので読んでほしい。

rockinon.com

 ここから抜粋すると

 自分を失いさえしなければ点はいつしか線になり、人と人とが結ばれて、それは円になっていく。『3月のライオン』は孤独と向き合うことによって始まる、とんでもなく大きな愛の物語。そしてこれはよく考えると、ユニゾンのライブの構造と似ているかもしれない。コール&レスポンスはもちろんのこと、3人はオーディエンスのリアクションを煽ることは一切せず、自分たちの好きな音楽を思いっきり鳴らして帰っていくだけ。観客側もカッコいいロックバンドを観ながら勝手に心を高鳴らせて、幸せな気持ちになって帰っていくだけ。「一体感」が生まれることはないが、終演後に広がるのは清々しい表情。だからみんなまたライブハウスにやってくる。

「人は独りなんかじゃない」と安易に結論づけることなく不可侵な「一人」を尊重するということと、だからこその、温かさ。『3月のライオン』とユニゾンの共通点、そして私が両者に胸を熱くさせてしまう理由はそういうところにあるのだと改めて気づかされた。

 

 この解釈本当にしっくりくる。そして、僕の中での麻倉ももさんへの好きを探してきた結果もここにある。

 自分の中の好きを追い求めていって、たくさんの好きに出会って、たくさんの人やモノに出会って、最初は点だったものがそんな出会いを得て、線になって、最終的に自分自身が好きになって円となって帰ってきた。

 

 5年という中で繰り返してきた春が、そんな円であり、縁を作った。これがこの物語の結であり始まりの春の答えだ。

 

筆を躍らせる僕らは この時を止めてしまいたくなる

笑顔が溢れて 見たことのない色になって 視界に収まらないから

出来上がるページを見る誰かのためを想う そんなんじゃないよね

今じゃわからない答えがある 

「わからない」って言うなら「ざまみろ」って舌を出そう

 毎回、毎回、筆をとってきた、自分の好きをカラフルに色づけていった。すごく綺麗だった。迷ったこともあったけど、それを素敵だと言ってくれる人に出会えた。

だから、わからなくてもいいから、自分のそのカラフルな麻倉ももを大事にしようと思えた。

 

すぐこんがらがって悩んで 幸せなはずがもやついて またゼロに戻った気がして迷路です けれどふとしたことで一瞬で ほころぶ

そんな風に そんな風に きっとできそうだね

 そんなカラフルな麻倉ももを迷って、間違って、でも届けて、伝えて。その気持ちの一つの花びらだけが届いたような気がして、たった一瞬の麻倉ももさんの笑顔に何度もほころんで風が吹いて笑顔になれた。

 

夢が叶うそんな運命が嘘だとしても また違う色を混ぜて

また違う未来を作ろう 神様がほら 呆れるころ きっと暖かな風が吹く

そして振り返ると、書いてきたもの、作ってきたもの、話してきたことがそれを物語っていて、すべてが栞のように残っているからこそこんなにもつながった。呆れられるほどに、自分が信じた好きを突き進んでいった。

 

また春が来て僕らは新しいページに絵の具を落とす

友達になった おいしいものを食べた たまにちょっとケンカをした

それぞれの理由を胸に僕らは 何度目かの木漏れ日の中で 間違ってないはずの未来へ向かう その片道切符が揺れたのは 追い風のせいなんだけどさ

ちゃんとこの足が選んだ答えだから 見守ってて

 そして、何度目かの春がきた、友達と酒を飲んだり、語り合ってプロレスしたり、フラスタを贈ったりして、いつしか点だったものが、線になって、円になって、あたたかな追い風を僕に与えてくれた。それがこれまでの出会いだ。

 僕が間違ってないと思った未来へ進んだ答えは、ちゃんと春に帰ってきた。とばしたたんぽぽの種は、次の春に花になった。いつしか満開の花を咲かせた。そして今大切な好きを出会いが作ってくれた。本当に僕は幸せものだ。

 僕は最初の好きを大切にして、好きでい続けた人ではないと思う。最初の一輪の花から、色んな種をまいて好きを増やしきた人だ、だからこそこの円という答えにたどり着いたのだと思っている。

 

そして、ずっと彼女へ伝えていることがある。

 

 【彼女自身が麻倉ももを好きでいてほしい】

 

 僕は麻倉ももを好きになって、自分の中の麻倉ももをそして自分自身のことを大好きになれた。

  だから、わがままとわかっていても、彼女自身も麻倉ももを好きでいてほしい。

 そのために、これからもフラスタも、お手紙も、ブログも続けたい。だって好きは伝えないと届かないから。だから、届けたいんだと今は強く思っている。少しでも自分の好きな麻倉ももを伝えて、表現して、彼女に笑顔になってほしい。

 

 そしてこれからは今まで怖がってきたけれども、この出会いが作ってくれたたくさんの好きの花束を、彼女へ直接伝えないといけないなって思った。

 その『想いを伝える片道切符』を僕はこの春に気づくことができた。

 

 僕は麻倉ももさんが大好きだ。そして、僕の中の好きはこんなにも綺麗だ。ケイスケさんに「好きです」と言われたときに思った。「好き」といわれることはこんなにも嬉しいことなんだと。(決してBL的展開ではない)

 

 だからこそ、間違っていても、彼女へ麻倉ももへ好きを伝えたい。

僕が麻倉ももへの好きと出会ってからのたくさんの出会いを、そこからできた好きを伝えたい。「好き」と言われて嫌な気持ちになる人はいない、僕はそう思う。もちろん歪みすぎた好きはダメだが、今僕は間違っていない好きだって確信をもてるから。

 彼女に会って伝えること、今までそれから逃げていたし、必要ないと思っていた。でも今はもしその時が来るんだったらちゃんと伝えたいと思えた、出会いが思わせてくれた。

 

 そして、いつか、僕は彼女の目の前で自分の好きを伝えたい。

 叶うかどうかわからないし、その機会は永遠に来ないかもとも思っている。だけど、片道切符は確かに手にできた。その機会が来るまで、また春が来たら想いの花を咲かせて、新しいページに絵の具を落としていきたい。募れば募るだけ、咲けば咲くだけもっともっと素敵で、きれいな好きが出来上がると思うから。

 

 仮にそんな場が来なかったとしても、結局は幸せなので変わりない(笑)

でも、今はしっかり1対1で伝えたいなと思う。僕の好きを、そこで返ってくる答えを受け止められる自信はもうついているから。返ってこなくても、しっかりと届けられると思うから。 

 これは、5年もかけて、5週回って、ようやく本人へ伝える片道切符をつかんだ拗れた青Pのひとり語りである。このブログのタイトルは回収したわけだ。でも独りじゃない、確かに僕らの中のひとりになった。タイトルをひとりにしてよかった。

 

 ようやく自分語りができるようになったので、嬉しかった。

 まぁ文自体は乱文なのだが、ここに置いておくことに意味があるだろう。

 

 これを読んだ人がどう思うのか、正直「へぇーよかったね」というのが大半だろう、僕が人のこんな文を読んだらそうなる。でもそんな自分が僕は大好きだから書いて残した。

 

 きっと読んだうちの誰かひとりには届くように書いたつもりだ。

 読んだ人が好きな人を思い浮かべて、そんな好きな人を好きな自分のことを好きになってほしい。僕はそう願っている。

 

 めちゃくちゃ楽しかったし、これからも書いていくぞーではでは。

 

 

                                         青P